糯ヶ坪

.糯ケ坪自治会

糯ケ坪地域づくり

糯ケ坪自治会長 大森作之

 糯ヶ坪の集落は、343世帯(平成242月現在)、1組~18組の隣保組織で構成されています。

 当地区は、「糯ヶ坪」の地名以外に「京口南」や「縄手」の名でも呼ばれます。糯ヶ坪は、もち米が良く採れたところの意味で、八上小学校の北東にある「糯ヶ坪」の字名から由来しています。江戸時代には山陰街道(京街道)の篠山城下入口の木戸が河原町の京口橋北詰にあり、京口と呼ばれていましたが、これに対し南側が京口南の呼称となりました。又、縄手は田んぼの中の「畦道」を意味しますが、京街道の入口を固める防衛拠点として、鉄砲・弓矢の障害になる建屋が一切認められず、田畑のみの土地だったことがうかがえます。従って、糯ヶ坪の集落は明治以降に各地域からの出身者が集まって出来た集落です。

   現在の糯ヶ坪も、従来からの地区と新興住宅地および集合住宅等で構成され、地域に対する考え方や生活スタイルも多様です。この様な状況にあって、地域内の結び付きや絆を深めることの大切さを痛感し、近年糯ヶ坪地域づくりをスタートさせたところです。ボランティアのグループも自治会に先行して事業を展開しています。親子参加の農園や地区グランドゴルフ大会等の各種イベントの開催、又地域歴史遺産の保存のため、古写真の収集や昭和20~30年代の懐かしの地図づくり等を実施して来ました。一朝一夕では出来ませんが、時間をかけても徐々に「住んでよかった街」、「ご縁の繋がる地域」づくりを目指し、一人でも多くの参画を得ながら取り組んでゆく所存です。


糯ケ坪稲荷神社と公民館