なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第四信


 


なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第四信

 

 糯ヶ坪自治会顧問 大森 作之


今を遡る57年前に行政自治体として「八上村」がありました。昭和30年4月20日に旧・篠山町、八上村、畑村、城北村、岡野村の五町村が新・篠山町として合併をしました。この篠山町が更に「城東町」、「多紀町」と合併をして広域・篠山町として発足するのは、この後20年の歳月を経た昭和50年3月28日になります。
  
昭和30年の八上村は、人口2,424人、世帯数519の構成で、職業別人口は、商工業その他870人、農業1,582人でした。(参考…平成24年5月末、人口2,327人、世帯数896)。

村の行政機関は八上小学校の近辺にありました。村役場と村議会は八上小学校北側の田松川と県道を挟んだ向いでした(今の農協跡駐車場の場所)。田松川は今より川幅が広く、小学校正面玄関へは立派な太鼓橋風のコンクリート橋が架かっていました。役場の東には、農協と八上診療所(高城会館の場所)がありました。

この診療所へは小学生の時にツベルクリン検査の集団注射を受けに行きましたが、子供ながらに余り行きたくない所でした。八上小学校から糯ヶ坪交差点までの県道は田松川に沿って、川左岸には桜並木が続いていました。4月の開花時期には商工会により観桜のボンボリが灯され、優雅な風景を醸し出しました。今は心の中で懐かしみながら、二度と戻らぬ情景に思いを馳せる歳になりました。
 


 八上小学校の北側桜並木


 八上村役場前


八上診療所