なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第五信

なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第5信
糯ヶ坪自治会顧問  大森作之
 

八上をふるさとに持つ者には、いつも心の奥に丹波富士(高城山)をいだいています。故郷から遠く離れて暮らしていても、高城山の末になる「八上っ子」の拠り所になるのは丹波の山河です。

今般は、王地山から眺めた八上の今昔の景観を、時の流れと共に見てみます。

①【昭和初期】篠山川左岸は未改修で堤防が無く、河岸に連なる竹薮が洪水防御の役割を担っていますが、常に氾濫の危険にさらされていました。人家もまばらで各集落が点在している状況です。

②【昭和33年】戦後復興がようやく終わり、高度経済成長期を迎える手前の時代です。巨人軍・長島茂雄がセリーグ新人王を受賞した年です。①の時代から約25年が経過をしていますが、比較して特に目立つ大きな風景の変化は見当たりません。昭和29年に篠山川の堤防が築かれました。又高城山は、山火事の後で山頂に松の木のみが残っています。火災後の灰で数年間はワラビが良く生え、毎年採集に登ったものです。

③【平成19年】②の時代から更に54年が経過しました。王地山山頂からの眺望も現在では木の繁茂で全く見えず、5年前のどうにか八上地区が望める写真です。近年の時の流れは、加速度的に大きな変化をもたらしたことが歴然と判ります。今では、のんびりとした昔の情景が懐かしく偲ばれます。

  ①【昭和初期】

  ②【昭和33年】

  ③【平成19年】