なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第二信

 なつかしの「昔八上」を訪ねて・・・第二信
糯ケ坪自治会長 大森 作之

 八上には、昭和47年まで国鉄「篠山線」の鉄道が通り、篠山口駅と福住を結んでいました。池上と境の北村に「篠山駅」があり、糯ヶ坪交差点から八上小学校の北側を経て、今のJA城東八上支店の南側には「八上駅」がありました。

 

 この鉄路は戦時下にあって、基幹産業である製鉄の高炉材料と鋼(はがね)生産に必要な品質日本一の多紀郡から産出する硅石とマンガン鉱石を、九州八幡地区へ運送する能力の増強が国策となり、昭和17年に建設が開始されました。

 

  当時、鉄道路線土地の優先供与と、建設の為に郡内各村毎に勤労報国隊が組織され、僅か2年余りの驚異的短期間で昭和19年3月に開業をしました。しかしながら戦争が終結し戦後復興の一時期での役目を終え、昭和47年に赤字路線の筆頭として廃線の憂目を見ました。
 
 
 今は全く面影がありませんが、過ぎし日々を顧みれば、子供の頃、駅構内に山盛り積まれた硅石から水晶や黄銅鉱を見つけて喜んだことを思い出します。苦難の歴史を刻んだ篠山線ですが、全ては懐かしく思い出に残る事実です。

 
当時の篠山駅構内(昭和43年9月)



糯ケ坪交差点の高架橋を通過する『お別れ列車』

『お別れ列車』の乗車券